-----プロフィール-----
愛知県名古屋市生まれの建築家・プロダクトデザイナー。早稲田大学理工科大学院修士課程卒業、博士課程修了。卒業後、黒川雅之建築設計事務所を設立。建築設計から工業化建築、プロダクトデザイン、インテリアデザインと広い領域を総合的に考える立場を一貫してとり続け、現在は日本と中国を拠点に活動する。 日本のデザイン企業のリーダーが集う交流と研究の場「物学研究会」主宰。
主な受賞歴として1976年インテリアデザイン協会賞。1979年GOMシリーズがニューヨーク近代美術館永久コレクションに選定。1986年毎日デザイン賞。他、グッドデザイン賞、IFFT賞など多数。
(YouTubeチャンネル「黒川雅之 未来への遺言」より抜粋)
(上記写真はハッシュカーサ-#casaでのインタビュー写真から抜粋)
----------------------
「評価」ではなく、「美」を追求する。
___先日インタビューさせて頂いた宮島達男さん*が、「アートで売れるのは偶然」だとおっしゃっていました。プロダクトや建築物は、売れることを見越してつくる点で大衆迎合的になる一方、アートのように自分の価値観や考えを伝えるツールでもあります。この矛盾についてどのように思われますか?
まず、プロダクトや建築がアートとは違うと考えるのは間違いです。仰る通り、本質的には作り手の感動や喜びを表現するツールであるからね。いわば対話のツールです。人間は一人では生きられませんから、他者と対話する必要がある。そしてその他者は自分と違う部分もあれば同じ部分も多くある。だからこそ、誰に対しても本質的に伝えたい感動や考えをモノを通して伝えることができる。一方で、人によって好みや評価が異なるように違う部分も多いから、その全ては伝えられない。
以上のことを考えると、僕がするべきなのは自分が正しいと思う建築・プロダクトをつくることなんだよね。人間とは何かを研究し、人間にあるべき建築・プロダクトがどういうものなのかを考え、それをつくればいいんだと思います。
___人によって評価が異なることはその通りだと思います。しかしその一方でデザインにおいてはコンテストやコンペ、学校での成績など評価される場が至る所に設けられています。評価を気にしないことは難しいように思えるのですが。
評価されて褒められるのは嬉しいことであるけれど、僕がデザインをする大きな目的は評価とは関係のないものです。僕は、見知らぬ文化とか美しい景色に触れて感動する、そうした美を探して生きている。そしてその美の追求のために、この仕事をしている。もちろんクライアントの要求もちゃんと応える必要があるから、ずっと美を追求できる訳でもないけれど、それが大きな目的なんです。だから評価のために創作をしているわけではないんです。
デザインの色々ー公共性と理論と素材と。
___少しデザインや設計についてお話を伺いたいです。プロダクトや建築は、人を選ぶという側面もあります。例えば、どれだけ立派で美しい階段であっても、足が不自由な人は利用できない。だからこそユニバーサルデザインが重要視されている訳ですが、その一方で批判もなされています*。黒川さんはどのようなご意見をお持ちですか?
(*参考:鷲田清一著 『身ぶりの消失』)
そもそもユニバーサルデザインは駅や劇場みたいな公共建築において生まれた考え方です。様々な方が利用するような都市空間では、誰でも使えるように設計しなければいけない。一方で、住宅や道具は個人的な要素が強い。そういうモノに対しては、その個人のためにデザインするのが一番いいよね。だから公共空間ではユニバーサルなデザイン、個人的な要素が強いものにはその個人のためのデザイン、をしていくべきだと思っています。
___なるほど、誰でも使えるというのは大きな魅力ですが、あくまで魅力の一つにすぎずケースバイケースで考えるべき問題ということですね。次に、「建築はこうあるべきだ」という理論と実際の設計の関係性について伺いたいです。よく理論武装的な建築やデザインは「頭でっかち」と言われますが、理論を実際の設計にどのように活かせばいいのでしょうか?
理論からデザインをするのは間違いです。順序として、デザインがあってそれを理論化する訳ですから。日常生活で理論をたててから生活しますか?理論は「この生活にどのような意味があるのだろう」といって生まれるものです。生活での様々な体験の後で生まれるんです。
だから、理論とは「何故このようなデザインにしたのか」を発見し言語化したものであって、デザインの後にあるものなんです。建築教育ではコンセプトを重要視する傾向がありますが、コンセプトも理論と同じく後からついてくるものですから、あまり正しい教育方針とは言えないと思います。
では理論が何故あるのか。それは次の行動をより効率的に、正しく決めるためにあるんです。理論があるから次の行動がより良いものになる。ここで、理論によってデザインする訳ではないことに注意してください。自分のひらめきを大事にしながら思うようにデザインをして、それを理論がチェックしてくれる。そういう関係性が望ましいと思います。
___理論は先行事例のようなもので、デザインをより良くしていくための補助的なツールとして活用していけばいいということですね。コンセプトについては、建築だけではなく様々な領域で同じことが言えるような気がします。
最後に、素材について伺いたいです。黒川さんはGOMシリーズをはじめ素材を活用した作品が多いと思いますが、素材の良さとはどのようなものなのでしょうか。
素材の良いところは様々な物語を持つところです。例えば木は、その触覚や歴史、日常性など様々な側面があって、そこから一つの感覚や印象を私たちに与えてくれます。このように素材には地域や文化によってそれぞれの物語があります。例えば、ウィーンに全部アルミニウムでデザインされた蝋燭屋がありますが、何故そうしたのかを考えながら現地で空を見上げていると、雲を通して光が差し込んできたんです。それがアルミニウムの感じととても似ていたんです。その地域に独特の現象なのかはわかりませんが、とにかく私の中で腑に落ちました。
さらに素材の原初的な存在を考えると、あらゆるものは地面から生まれていることに気づきます。人間もプラスチックもそうですよね。プラスチックはプランクトンが死骸となってできた石油を加工したものですから。そして大地に生まれて大地に戻るというのが素材の一生だと考えると、木のように素材が大地に近ければ近いほど私たち人間は親近感をもつのだと思います。逆にプラスチックのようにプロセスが複雑なほど付き合いにくくなると思っています。
若い世代へのメッセージー感動で溢れた人生を。
___それでは最後の質問をさせていただきます。自分と他人を比較して才能がないように思えたり、やりたいことや夢が分からなくて何も手に付かなかったりすることが、私たちを含めて若い世代によくあることだと思います。何かアドバイスを貰えれば幸いです。
まず、どんな人生を送りたいか自分自身に問いかけてみてください。僕は何年か前に自分に問いかけたことがある。「なんで生きてんだ?」って。そのときこう答えた、「僕は感動で溢れた人生を送りたい。まだ生きていればもっと感動できると思うから生きてるんだ」ってね。「東大に合格したい」とか「何かになりたい」とかの夢や目標って、それが叶った途端無くなってしまうよね。だから表面的なことではなくて、もっと根本的に自分自身の人生をどうしたいのか、真剣に考えてみればいい。僕的には「感動を探す人生」がオススメだけどね。
___目先の目標や夢も大事ですが、それにこだわりすぎるとそれ以上に大切な「人生をどう生きたいか」という本質的な部分を見失う。
改めて、自分の生き方を見直してみようと思います。本日は本当にありがとうございました。